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全日本断酒連盟
体験談
高橋 一夫

“感動”と“共感”の断酒学校

 毎回、断酒学校が近づくと遠足を待ちわびる子供のように指折り数え待ち遠しい気持ちになります。

開校式が始まり会場内を見渡すと「今年も寂しいなぁ…」正直これが第一印象でした。しかし断酒学校・研修会でしか会えない仲間との再会が毎回そんな気持ちを掻き消してくれます。

 私は先人の助言により入会後まもなく断酒学校・県外研修に参加するようになります。地域断酒会になかなか馴染めず、自分の本当の居場所が見つけられずに苦しい時期を過ごします。私の「会に対する批判めいた発言」から先人は県外研修を勧めて下さいました。

 当初、重い足を引きずっての研修会参加がつい昨日の事のように思い出されます。途中で足を止めず継続して来られたのも、全国の仲間・家族との出会い、そして基調な体験談のほかありません。

 私は去年の春先、今更ながらの気づきを得ました。長く「第二の否認」を黙認し続け、酒には手を出さずにいても他の嗜癖にのめり込んできた、これまでの「第二の否認」を悔い改め、今年の松村断酒学校に臨んだのでした。

 これまでも家族の体験談に涙することはありましたが、今年は溢れ出る涙を抑えることが出来ませんでした。断酒会の最大の魅力でもある家族の体験談に感動を覚えました。

 こうして文字に残すことには非常に抵抗がありましたが、これを機に書き記そうと思います。

 私の妻は自死です。私が苦しめ追い詰めたのは紛れもない事実です。私達夫婦は既成事実の方が先でした。長女を授かり、籍を入れます。

 その時、私は嘘偽りなく「家内を幸せにしよう」と思いました。私も典型的な機能不全家族で育ちます。祖母と母の確執が家庭不和の最大の原因で、中学までは良い子で両親の顔色を伺い、親の望む姿でいることが家庭の平穏の維持であるかのような先入観がありました。しかし、高校入学直前の父親の飲酒事故でこれまでの辛抱が吹っ飛びます。何もかもバカバカしくなり、高校も中退しバイクやシンナーに明け暮れます。そんな糸の切れた凧のような生活を送り、自分の存在価値を見出せたように思えたのも束の間、一転無気力になり引きこもりの生活になります。悪友が誘いに来ても居留守を使うのでした。自身でも更生を考え始めていたので、根本から生活環境を変えようと住み込みで長野県のリゾートホテルに就職します。そこで家内と巡り合うのでした。

 長女を授かり結婚を決意しますが、恋に落ちて一緒になるというよりは、私が更生するための“結婚”だったと思います。娘は可愛く愛おしかったです。必死で仕事もしました。もちろん酒も飲んでいましたが、まだ仕事や家族が優先でした。しかし時折、泥酔する姿があったのも事実でした。私に対する家内の口癖は「飲みすぎると大好きなお酒が飲めなくなるよ」でした。家内の身内の力添えで転職にも恵まれ、30歳そこそこでマイホームも手に入れます。少なからずプレッシャーもあったものの幸せでした。

 皮肉にもこの直後、ある女性との出会いがあります。宴席に来たコンパニオンでしたが、この女性に心を奪われます。「既成事実による結婚」「愛情があっての結婚ではなかった」「この結婚自体間違いだった」自分本位の言い訳を並べ、私の中で葛藤が繰り返されます。その女性はすぐ身を引きますが、覚醒されたかの如く私はそのコンパニオン女性に代わる新しい存在を求めます。毎晩、夜の街を飲み歩きターゲットを探し歩きました。飲み過ぎて仕事にも穴を開け始めます。まさに病的な行動でした。

こんな生活の中、離婚話も並行して行われていました。「離婚という大事な話をしているのになぜ飲まないで話が出来ないの?」涙ながらの妻の訴えに返す言葉がありませんでした。なぜなら私に全て非があるからです。家内を攻める余地など微塵もありません。飲まずに妻と話すことすら出来ませんでした。

 二ケ月?三ケ月?どの位の期間だったか定かに覚えていませんが、何の進展も結論も出ない夫婦の話し合いが続きました。家内は何事にも一生懸命な女でした。当初から私の真の愛情を感じていなかったのかも知れません。婚姻関係を消滅させたくないため、私を繋ぎ止めておくために必死だったように今は思えます。

 私は家内の気持ちを見透かし優位な立場でやりたい放題、家内はいつも私の顔色を伺いジッと耐えていました。あってはならない夫婦の姿です。犬畜生にも劣る私でした。

 出口が一向に見えない夫婦の話し合いに見切りをつけるかのように家内は命を絶ちます。想像すらしなかった結末に私の逃げ道は酒しかありませんでした。酔いで現実逃避

するしか方法がありませんでした。自分の事しか考えられなかった当時ですが、二人の娘の気持ちを察すると胸が詰まります。

 私も娘たちも遠回りしましたが、現在は人並みの穏やかな生活を送らせて頂いています。しかし、娘たちの心の傷は決して癒えることはないと思います。私が娘たちに償いなどと考えてはいけないでしょう。

 私の“断酒”と“妻の自死”とは娘たちには無関係なはずです。自分の父親を“仇”さえ思っているに違いありません。こう自分の中で考えると飲酒時代のように己の存在価値を見失ってしまいますが、私には断酒会があります。感動と共感、知恵と勇気を授かる感謝の仲間がいます。

 今年の松村断酒学校では、感動と共感で涙が止まりませんでした。また、新たな大きな気づきも頂きました。入会以来、長らく第二の否認から目を背向けてきた私ですが、ようやく目がさめました。私の尊敬する大先輩の助言を実行すべく、この断酒会に奉仕することで私は自分の心を満たしていこうと思います。