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E.N.

私の共依存

 夫のお酒の問題にはっきりと気が付いたのは2年前の2月末頃のことでした。隣組の寄り合いで焼酎を薄めずにそのままあおり、足腰のおぼつかない状態で帰ってきた時のことです。近所の親戚でもある方が連れてきてくれたのですが「大変な事になっているぞ」と言われた一言で私はハッとしました。
夫は飲んでも暴れたりしないのですが、手がふるえていたのか酷い字を書くことがあったこと、健康診断で脂肪肝と言われたこと、いつも敷きっぱなしの事務所のせんべい布団に昼間から寝ていたこと、仕事のミスが多くなったなど思い返してみると、お酒の問題であれば当て嵌まる事が沢山ありました。ただその時は三人いる子供うち二人が大学進学と高校受験で、夫のことは4月まで本やインターネットでアルコール依存症について調べるくらいしか何もできませんでした。それまで夫には「あなたはアルコール依存症だよ」と伝えましたが何も行動できませんでした。
 4月に入り子供の進学も落ち着き、さてどうしようかと思った時、インターネットで調べた断酒会の相談窓口の方の電話番号が自分の住んでいる町の電話番号と似ている事に気が付き、思い切って電話してみました。嶋田理事長でした。その当時、嶋田理事長は埼玉北部断酒新生会の会長でした。これは後から知ったのですが会長は夫の中学校の一つ上の先輩でした。

 私は夫の状態を説明し、私一人ではどうしていいか判らないと言うと、親戚に思い切って相談して協力して貰った方が良いと助言して頂きました。またアルコール依存症のプログラムのある病院を教えてもらったり、家族会や断酒会の例会についても教えてもらいました。(と思い込んでいましたが、実は2月に電話して出来ることからと言われた事を、私自身が当時の記憶と混乱していました。)そこからすぐに私は行動し、夫の姉に思い切って相談し、初めて行く、家族会や片道1時間半以上もかかる病院にも連れて行ってもらいました。

 夫は2月の末からほぼ連続飲酒の状態が続いていました。何年も前に言われた脂肪肝の治療も全くせず、お酒を飲みたいだけ飲んでいた身体はもう限界でした。私がお姉さんに病院に連れて行って貰った翌日、夫は吐血し、下血して足腰も立たなくなり、とうとう夫から「病院に連れて行って欲しい」と言われました。

 病院に入る時は車椅子に乗せられ、夫は任意入院で保護室からの入院生活となりましたが、体の状態は非常に悪く主治医の先生から「72時間以内に容体が急変し死亡する可能性もあります。肝硬変も最も進んだ状態です」と言われました。どこかでわかっていた事ですが現実に直面すると本当にショツクでした。翌日面会に行くと夫はマットレスー枚に便器のみの外から丸見えの部屋に病衣とオムツで丸くなって転がっていました。蟻の大群が見えたり、時計をライオン丸と言つてみたり、幻覚がひどいようでした。

 それでも時間がたてば落ち着くものと思っていたのですが、保護室から閉鎖病棟に移っても妄想が収まらず、「病院の中で飲み会をやってる」とか、「シーツを破いて紐を作り脱走した奴がいる」とか、しまいには「大きな声で話すな、盗聴されるから気をつけろ」と言い出す始末でした。10年前に患ったクモ膜下出血の影響もあるかもしれないからと脳外科に診て貰いましたが、幸い特に病変はないとのことでしたが、それでも夫のその状態は2ヶ月近く続きました。

その間、私はどうしてこうなるまで放って置いてしまったのか後悔する気持ちと先々の不安の中に居ました。義姉は、私を心配して1ヵ月以上、毎回夫の面会に付き添てくれました。断酒会や家族会の皆さんにも沢山体験談を聴かせていただいて、とにかく飲まずに止め続ける事が回復する道だと、可能性はあるのだと教えて頂きました。友人にもたくさん話を聞いてもらいました。本当にあの時の皆さんの支えが無ければ、私はとっつくに諦めて放り出していたかもしれません。私は夫がここまでの状態になるまでお酒の問題だとはっきり自覚自覚する事が出来ませんでした。その原因のひとつに私の育った家庭環境が有ると思います。私の父は家族以外の人、困っている人を助けようと思った時には本当に親身になって面倒を見る人です。一方家族に対して、特に母と弟にはとても厳しく、お酒を飲むと本当にひどい言葉を浴びせていました。私がよく憶えているのは、私がまだ4~5歳の時、父の暴言に耐え切れなくなった母がトイレに閉じこもってしまいました。すると父が鬼のような形相でドアを壊しはじめ、私は母が殺されてしまうと本気で思い込み怖くて怖くてたまらずに大泣きした事、そして父は大泣きしている私がうるさかったのか「泣くな!」と怒鳴りつけました。私はこんなに恐ろし事が起こっているのに泣くことも出来ないと絶望的な気持ちになったことを憶えています。
 母は父にほとんど抵抗しませんでした。私が小学生の頃は弟を連れて出ていくと冗談めかして言った事もありましたが、だんだんと「私がダメな人間だから」と自分を卑下するような事ばかり言う様になり、父の言葉の暴力の中で、ただ黙って「自分は何もできないダメな人問だ」と言いながらそこに居ました。

 私自身も夫の様子が変わっていくのを、ただ黙って見ていました、夫は暴力をふるいませんでしたが、何かが崩れ落ちるようにダメになって行くのを感じ、そして私はただそれを見ているだけでした。今思うと母とそっくりだと思います。何か大変な事が起きているのに自分の感情を押し殺し、本当の問題から目をそむけ、ただそこに居るだけでした。私は子供三人を一人で育てていく自信はありませんでした。だからと言って子どもを置いて自分だけが家を出る事もできず、とにかく自分が生きている限りはここに居なければいけないという義務感(責任感)の様なものだけは感じていました。
 そのためか自分の感情や感覚は大事にしたことはありませんでした。自分を信じる事も出来ませんでした。いつも新しい環境に成ると自分はどの位置に居れば適応しやすいかとか、あまり目立たずにいられるかとかばかりを考えて、何が自分か解らなくなっていました。今もおそらくそんな状態です。
 今は例会に行き話を聴かせて頂き色々な気付きをさせて貰っています。
まだ自分を語る事は全然できていないので、これからも例会出席を続け少しづつでも自分を変えて行きたいと思っています。